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小林 / 2010年1月8日
中国国営通信「新華社」と中国共産党機関紙「人民日報」の傘下にある雑誌で最近、中央政治局委員で広東省書記の汪洋氏の業績について賛美の報道が頻出している。胡錦濤国家主席と同じく「団派」(共産主義青年団出身)であり、地方と中央の業務経験が豊富で、経済管理指導力に強く、「洋々たる前途」と評価する。影には、汪氏のライバルで江沢民派の薄煕来・重慶市書記を引き落とす狙いがあるものと思われる。 「新華社」傘下の「財経国家週刊」は創刊号(先月28日)で、「広東における汪洋の政務」と題する論評を掲載した。執行を優先させるため、たまには部下に厳しいことを言うが、55歳で鬢毛が白くなっていても染めておらず、高官の中ではきわめて異例な人物だと評価している。よく現地を視察し、自分の行動に関する報道は削減するようにメディアに指示し、順徳、深圳、東莞などで行政改革の実績があることなどにも言及している。
「人民日報」傘下の週刊誌「大地」も、09年23号に「少将汪洋の政治業績の軌跡:銅陵の改革から広東の新政まで」を掲載し、汪洋氏の政治業績を詳しく紹介。「地方勤務の経験と中央で鍛えた経歴があり、“団派”のカラーを鮮明に身につけ、貴重な経済専門家でもある。洋々たる前途があり、今後の活躍が期待される」と褒める。
また、汪洋氏の経歴を次のように紹介している。未来志向のある行動派として、早くから抜擢された。1988年、若干33歳ながら安徽省銅陵市長に抜擢された時には、「赤ちゃん市長」と呼ばれていたが、果敢な実行力で古い体制を打ち壊し、市民からの支持を着実に獲得し、中央にも注目され始めた。
1992年、鄧小平は、南方巡遊の際、安徽省で特別に汪洋氏と会見し、「有能な人材」と褒めた。翌年、38歳の汪洋氏は安徽省副省長に抜擢され、当時最年少の副省長となった。彼が推し進めた税制改革を、朱鎔基元総理が「若いのに大胆」と褒め称えたといわれている。
2007年末、広東省に派遣され、中央の意志を受け、汚職・腐敗の一掃に取り組み、2009年、広東省の陳紹基・前政治協商会議主席、許宗衡・前深圳市長ら腐敗官僚を失脚させた。地方の保守勢力を一掃し、政治を刷新したこれらの実績によって、汪洋氏は今後より一層高い官職に昇進する可能性がある。
2012年に予定されている第18回党大会を控え、次世代リーダーの任命について、胡錦濤国家主席と江沢民前国家主席を中心とする高層部の熾烈な闘争が絶えず展開されており、最近、国営メディアが汪氏を熱烈に賛美する影にも、この闘争が見え隠れする。
かつて重慶市書記を務めていた汪氏の後任で、現書記の薄煕来氏は、昨年夏から、重慶市で「打黒唱紅」(マフィア組織を取り締まり、革命の歌を歌う)の政策を展開している。これは、共産党政権に対する自己の忠誠心をアピールし、政敵を蹴落として、将来の指導者を狙う野心を意味する。
しかし、胡錦涛国家主席は中央視察チームを重慶に派遣し、「マフィア組織取り締まりに関しては、キャンペーンや恐怖政治に走ってはいけない。公安・検察・裁判所の手続きを無視したり乱用したりしてもいけない。これまでやってきたことを整理すべきだ」と指示した。薄氏はこれに対し、「切羽詰まってのマフィア組織取締まりだった」と苦境を訴え、自己弁護した。
汪氏の業績に対するメディアの一連の報道から、中共指導部はすでに、これまでの両者の対立を総括し、「汪洋はすでに難関を乗り越えた」、「汪洋には洋々たる前途あり」と汪洋氏の成功を暗示する一方で、「革命の歌を歌いマフィア組織を打撃」して名声を高めようとした薄氏は逆に、「地方と中央から嫌われた」ことを示唆するものと読みとれる。
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